ヤマメ釣り
親父と、兄貴二人、それとオバラ男先生と哲の5人で、お弁当を持ってヤマメ(山女魚)釣りに出かけた。豊寒別の山奥、朝、小川さんという家だったと思う。そのお家に行く。山に入りヤマメ釣りをさせていただくご挨拶だ。学校の直ぐ傍の森を抜けたところにも川があった。その川ではあまりヤマメは釣れない。やはり、山奥の小川さんのお家の近所を流れる小さな川まで行かなければ大漁は無理なのだ。
<ヒグマとの争い>
札幌の中学に通っていた兄貴が帰省していた、だから多分、時期は夏休みの企画だった思う。集合時間を決めて、ポイントに散る。二人の兄と先生はそれぞれ勝手なポイントに移動していく。哲はまだ1年生だった様に思うが定かではない。だから、哲は親父とは同じポイントでのヤマメ釣りである。
親父とヤマメ釣りのポイントに移動する。少し川が深くなって、大きな石や岩があってそこに急流が発生しているところがポイントだ。深いといってもせいぜい50cmの深さもあれば充分だ。だから、川の中を歩いてポイントを移動するのだ。下流から上流に向って移動していくのだ。
ヤマメ釣りは簡単だった。ポイントに竿を入れると必ず当りが来るのだ。当りが来なければそのポイントにはヤマメがいないということだ。当りがなければポイントを移動するのだ。餌はミミズだ。農家の堆肥が積んであるところに縞ミミズが豊富にいる。多分、小川さん家で採らせてもらたのだと思う。
いよいよヤマメ釣りの開始だ。1カ所のポイントでは2匹以上は釣らない。親父と釣っては上流へと移動だ。ゲゲ~何なんだこの足跡は・・・直径30cmはあるゥ~親父「ヒグマの足跡だなッ」軽く言ってる。ヒグマの足跡がベタベタに付いてるところでヤマメ釣り、さすがの哲も初めてだ。
考えてみるにヒグマの足跡は直径30cmもある筈がない。せいぜい20cmがいいところだ。小学1年の子供にはヒグマの足跡が30cmに記憶されるのも無理はない。今でも手でこんなに大きな足跡が、と出す手は30cmを示してしまう。相対的に大きさを認識してしまうのは無理がない。
それにしても、怖かった。釣りの途中、親父と離れることもあった。離れても心配は要らないのだ、二股がない限り同じ川で釣りをしてるから上流へ向かえば必ず会えるのだ。川に迫り出している笹藪がガサッと音を立てる。ビクッ!ヒグマ現る!なわけないでしょ!ハハハ、でもそう思ってしまう位のところで釣りをしていたのです。ヒグマと競争して人間も食料を採っていたのです。
<釣果>
午前で一度釣りを中断し、民家に集合します。昼食タイムです。午後またポイントに散ります。一日の釣果ですが、兄貴たちは大体一人100匹位だったと思います。僕と親父は合わせて6~70匹位だったと思います。大物賞は親父か僕がいただいた様に記憶しています。兄たちは、15~20cmのとてもいい形のヤマメばかりです。哲の釣ったヤマメは大きさがまちまちでした。やはり、ポイントの選び方が問題だったようです。
釣りを終えて家に帰り、ヤマメをさばきます。さばくのは自分たちです。お腹の内蔵を取り出し、水で綺麗に洗います。それを、一匹ずつ焼いて乾燥させ保存食として貯蔵しておくのです。少しは釣ってきたその日に、おふくろに天ぷらに揚げてもらいます。ヤマメの天ぷらは頭から食べることが出来てとても美味しい料理です。乾燥したヤマメはおふくろが甘露煮にしてくれます。この甘露煮もとても美味しい料理の一つです。


Comments
ヤマメは鮭の仲間なんですね。
焼いて保存食ですか。アメリカインデアンみたやね。彼らは燻製にするけどね。
しかし、ホンマ自然児として育ったんやね、哲ちゃんは。
よく、大学に行けたね?当時は試験があった?実技だけ?(魚釣りとか、蓑で鳥取る実技とか・・・)
Posted by: jo | February 21, 2005 at 10:59 PM
はじめまして
北海道浜頓別町豊寒別の小川です。
昨日、宗谷支庁の方からご紹介いただきまして訪問させて頂きました。
なかとなんと私が50年以上も住んでいてもわかわない地域周辺のことが沢山知ることが出来るページに驚きました。
「ヤマメ」が沢山釣れた川のそばに住んでいた小川家の名前まで出てきていました。感激です。
今も同じ場所で、3代目として牧場をしています。地形、風景何も変わっていません。
ただ、残念なことに「ヤマメ」が釣れなくなったことだけが変化でしょうか。
地域の先輩に聞くと分かることでしょうが、哲さんのお父さん先生はなんとおっしゃったんですか。歴代校長先生の写真は歴然とかざられていますので、学校に行ったときに見てみます。
是非、機会がありましたら訪問して下さい。
Posted by: 小川ふみお | February 26, 2005 at 08:20 PM
小川さん、ご訪問ありがとうございます。驚きました、ネットの威力ですね!その節は小川家の皆さんには大変お世話になりました。親父や兄貴の分も合わせ、改めて御礼申し上げます。
親父は佐藤敏雄と申します。2002年11月3日、満90歳で永眠しました。昭和27年から30年の3年間、校長をやっておりました。豊寒別の思い出はまだまだあります、興味がございましたら道産子哲へ、またの訪問よろしくお願いします。
Posted by: 哲 | February 26, 2005 at 08:57 PM
お久しぶりでの送信になります。
すっかりのご無沙汰です。
最北の地にも、ようやく春が訪れましたが肌寒い日々が続き季節の異変をかたることが挨拶代わりになっています。
そんな中でも、暖かい早春や桜の開花を待ち望みながら元気いっぱいに生きています。
今夜、久しぶりに我が家でいつも語り合う数件の家族と杯を交わす機会がありました。
その中で「佐藤校長先生や哲さんの話をしましたら、「すどうたけし」氏がおりまして、良くご存じで昔の話が盛り上がりました。
正確かどうかはわかりませんが「けいじさん、さちこさんの名前がでていました。
佐藤校長先生のご葬儀にでられた知人の話も聞き、あらためて人々のつながりの広さを実感いたしました。
昭和60年に豊寒別小学校の70周年記念が開催されたときに、佐藤校長先生にご臨席を頂き、記念誌にも寄稿いただきました。
私もかかわっていましたので、当時のことはよく覚えていますし今夜も話題になりました。
酔い気分での送信で申し訳ありませんが、道産子哲さまのことが話題になり、懐かしさをおぼえ送信になりましたことをお許し下さい。
Posted by: おがわふみお | May 06, 2005 at 11:13 PM
小川さんご無沙汰しております。『ようこそ!ぶんちゃんの里へ』を見ますと、豊寒別も雪が消え春が訪れているみたいですね。今年、4月23日(土)に札幌におりましたが、積もるほどの雪に驚きました。今年は例年以上に春は遅いようですね。下頓別時代、5月の下旬に学校の先生方と花見に行ったことを思い出します。宗谷の春は遅かったです。
「ケイジ」は一番上の兄で、「サチコ」は姉です。間に「ツヨシ」という次兄がおります。親父は亡くなりましたが、おふくろは満88歳で元気です。おふくろも家庭科の裁縫の授業に駆り出されていたのは豊寒別小学校だったと記憶してます。
昔の豊寒別小学校の校舎、つっかえ棒で支えていた写真がありました。スキャナーでディジタル化してアップしたいと思っています。親父が下頓に転勤した後で、新校舎が建てられたと聞きました。
70周年記念の会の話も聞いていました。小原先生には親父の葬儀で、50年ぶりでしょうか・・・お会いしました。本当に機会があったら、自分を育ててくれた宗谷を巡ってみたいと思います。
Posted by: 哲 | May 07, 2005 at 08:49 PM
テッチャン
そのときは、あたしも連れてってくりゃれ。
オフォーツク、一度も経験が無いんや。利尻島はあるんやけど
ね。
美味しい、魚介類を食べたいです。
Posted by: jo | May 09, 2005 at 01:55 PM