海の幸
大昔の哲ん家の食卓の様子を暴露するつもりではないが、帆立貝と共に忘れられない海の幸がある。鮭/秋味は時期が来ると食卓にあがったが、時期がきても食卓にあがらなくなったもものもある。ニシンもそう、それから毛蟹がそうだ。
<石ガレイ・オヒョウ>
平目のお刺身やふぐのお刺身(薄造り)を食べることがある。美味しいが大変高価な食べ物だ。子供の頃、おふくろが作ってくれたお刺身で忘れられないのがある。一つは”石ガレイ”のお刺身だ。目のある表側は真っ黒で、裏側が真っ白のカレイだ。表側のひれの付近には頭のほうから尾にかけて、石を貼り付けたような硬い皮がついていて、裏側は白黒の幕のようになっている肉厚のカレイだ。北海道の実家に帰った時に、お刺身用のがあったよと、おふくろが夕食に出してくれた。日本酒を飲みながら生姜醤油で食べたが最高だ。
もう一つもカレイの仲間だ。おふくろは”テックイ”とか”オヒョウ”とか言っていたが、とにかく大きなカレイであった。めったには食卓に上ることはなかったが、お刺身の残りのあらで作る”あら汁”がまた、子供ながらに絶品だった記憶がある。オヒョウというカレイ、これも日本酒の肴としていただいてみたいカレイだ。
その後、オヒョウを口にする機会があったかどうか忘れてしまったが、石ガレイは度々食べる機会があった。煮魚にしても美味しいカレイだ。オヒョウは高級魚って感じがするが、石ガレイは普通の一般家庭で食べていた。哲はつい、平目よりも石カレイを支持してしまう。
<毛蟹>
豊寒別時代、冬と言っても3月、4月頃だと思う、その頃の海の幸は毛蟹だった。漁師さんたちは、蟹篭を入れ替えてお昼には漁から戻ってきたのだろう(毛蟹は餌を中に入れた篭で捕るのだ)。お昼過ぎ頃に毛蟹が自宅に届けられ、3時頃におふくろが毛蟹を茹でていたのを覚えている。生きて、口から泡をふいている毛蟹を塩茹でするのだ。茹でたばかりの熱つ熱つの毛蟹を食べた。子供だったが、甲羅に詰まっているかに味噌の美味しさは忘れられない。お酒の味を知った世代だったら、どんなにか美味しいおやつだったろう、と思うと残念でたまらない。
タラバガニも食べたが、毛蟹ほど頻繁ではなかった。でも、甘い美味しい蟹だった。タラバガニは中学3年の時に過ごした浜猿払(はまさるふつ)時代に食べた時の印象が強く残っている。同級生の長原君の家が、タラバガニの漁業権を持っていて、2月、3月頃にかなりの水揚げがあったと記憶している。時々、浜に行って分けていただき、夕食の食卓をにぎわせた。とにかく美味かった。
結婚した翌年の昭和47年3月に、家内を稚内市に近い曲渕の実家に連れて行った。おふくろが市場でタラバガニを買ってきて夕食の食卓に出してくれた。家内はその大きさにびっくりして、両手で抱えて記念写真を撮ったものだ。毛蟹もコンロの上に甲羅を乗せ、”蟹みそ和え”を作って食べさせてやった。こんな美味しい食べ方知らなかったと言って、日本酒をクッとやっていた。


Comments
話を聴いてると、採集漁労時代の縄文時代とあまり、変わらん生活しとったんと違います?
とにかく、北河内と異なり、稲作が出てこない。まさに、縄文の世界でんな。
名前は忘れたけど、ある歴史家が語っていました。縄文時代には飢饉は存在しなかった、しかし、稲作の弥生時代になり飢饉に襲われたそうです。
木の実とか、山菜、川の魚、海の魚と海草、これで、生きていれば、飢饉はないそうな。但し、富の蓄積は出来ない。しかし、安定した生存は出来るそうだ。
縄文人はそして、グルメだったそうやね、哲ちゃんと同じやね。
Posted by: jo | March 06, 2005 at 02:54 PM