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July 31, 2005

Охотск紀行(札幌へ)

<7月6日(水曜日)午後~夜>

 午後、旅行の最大の目的地であった宗谷を後にし、札幌へと向った。音威子府(おといねっぷ)から札幌まで、およそ260km、一気に目的地に入るつもりだ。

 正しくは、音威子府は上川支庁になるのだが、道産子哲の中では気持ち的に宗谷になっている。お許し願いたい(^O^)v

 7月2日にサロベツ原野に入り、稚内へ北上、そしてオホーツク海沿岸を南下し、今日はもう6日である。あっという間に、宗谷へお別れだ。

 <札幌の街>

 国道40号線を札幌に向かう途中、美深道の駅が目に入った。何か面白いお土産があるかも知れないと、道の駅駐車場に向かったところ思い出した。なんだ~サロベツに向かうときに寄って、ジャガイモコロッケを食べたところだ ┐('~`;)┌。

 という訳で、素通りし、再び40号線に戻った。雨が残る札幌に、7時前に到着することが出来た。

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July 30, 2005

Охотск紀行(音威子府)

<7月6日(水曜日)午後>

 歌登から小頓別へは、当然だが山の中の道だ。やはり道端はイタドリが鬱蒼と茂っていた。お昼時だから、ということもないと思うのだが、行き交う車の数は極めて少なかった。夜になるとエゾシカやキタキツネ、ひょっとしたらヒグマと出会うことがあるのかもしれない(^-^;)

 <佐々木食堂>

ohohtuku0507_183 歌登から40~50分も走っただろうか、1時前に音威子府(おといねっぷ)駅に到着した。お昼を食べようと、食堂を探したが中々見つからない、1軒はお休みだった。駅前にのれんがでている食堂があったので、おそるおそる?そこに入った。お店の外観を見れば、その気持ちを察していただけるだろう(^_^;)1組3人連れの先客がいた(ホッ)。

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July 29, 2005

Охотск紀行(歌登)

<7月6日(水曜日)午前>

 Охотскの旅を終え、今夜、札幌に入る予定にしている。札幌までは4時間も走れば届くだろう。

 <うたのぼり健康回復村>

Ohohtuku_20050706_99_1 昨夜から雨模様になるのではないかと心配していた。朝目覚めたら、心配していた通り雨が降っていた。朝の気温が11℃というのはさすがに驚いてしまった。朝食を済ませてから、歌登町、健康回復村にある”南宗谷カントリークラブ”の視察に出かけた。

 うたのぼり健康回復村、遊・食・泊、心身をリフレッシュできる温泉郷とあった。ホテル、コテージ・キャンプ場、ゴルフ場などの施設が自治体直営で、手作りリゾート地を形成している。

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July 28, 2005

Охотск紀行(北見枝幸)

<7月5日(火曜日)午後>

 鬼河原で蕗を採って一息をついた。時計を覗いたら、1時を過ぎていた。お昼をどうしよう・・・北見枝幸まで行っちゃおう、あの町は大きい町だから、コンビニもあるし食堂もある、2時前には着くと思うよと家内に言う。

 <車中で昼食>

 午前中訪問した豊寒別へ引き返すかたちで国道238号線オホーツクラインに出、北見枝幸に向かう。下頓別小学校の赤川校長先生に、交通取締が厳しくなっているので気をつけるように言われたのを思い出し、静かな運転?で北見枝幸の町についた。車で街中を走るが中々食堂が見つからない。

 豊富、稚内、浜頓別・・・北海道はセイコーマートというコンビニが目立っていた。そうこうしてたら、大型スーパー西条があった。ロゴがスーパーの西友に似ていた。

 北見枝幸、哲は住んでいたことは無い。学生時代、冬休みや夏休みに親父・おふくろのところに帰るだけだった。土地勘もなく、町のイメージもあまり記憶に残っていない。ただ、大型スーパーは無かった。

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カサブランカ

kasaburanka0728_007 庭でカサブランカの花が咲いた。昨日は二輪だったが、今朝やっと咲き揃った。昨秋、植えた球根の中で一番最後に咲いた花だ。

 ついでに:学生も夏休み入って、朝の痛勤?電車も少しは空いた気分。道産子哲のテンプレートも夏休みモードに変えてみました(^-^)v

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July 27, 2005

Охотск紀行(下頓別Ⅱ)

<7月5日(火曜日)午後>

 <鬼河原>

 稚内から曲渕、浜猿払、浜頓別・・・オホーツク沿いの道路を走っていると、道端にはイタドリや1m以上もありそうな蕗がうっそうと茂っている箇所が沢山ある。

 助手席に乗っている家内が「お父さん、蕗だよ~!」とうるさい。豊富温泉の旅館で食べた”蕗のキンピラ”が美味しかったこともあって、オホーツクの蕗を採って帰りたいと言ってる。

 道端の蕗は食べられたものじゃない、蕗は鬼河原の蕗だ。鬼河原に連れて行くからそこで採ればいい、と言っておいた。今朝は8時過ぎの朝食だったので、お腹はまだ空いていない。昼食の前に、鬼河原に行くことにした。

 下頓別中学校を過ぎると、途中、道路の右手に苺畑があった。観光苺園もやってる様子だったが、そのまま通過した。北海道に来てまで、イチゴ狩りはないだろう ┐('~`;)┌

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July 26, 2005

Охотск紀行(下頓別Ⅰ)

<7月5日(火曜日) お昼>

 Охотск紀行も今回で連載18回目を迎えてる。♪ひゃら~りひゃらり~こ、誰が吹くのか~♪不思議な笛だ~♪ひゃり~こひゃらり~こ・・・と、笛吹き童子や紅孔雀を聞いていたのは、豊寒別の時代、電気が無くとも細い針金を伝って聞こえてくる有線ラジオ放送だったと思う。

 下頓別への転校で、道産子哲は、複式学級とランプ生活に別れを告げ、単式学級、そして電気のある生活へと大きな変化を遂げた。その下頓別に昨日の下見に続きやって来た。

 下頓別では色々なことがあった。昭和34年4月、初の民間からの皇太子妃誕生に日本中が湧きかえったのは、道産子哲が下頓別中学校1年の時だ。中学3年の姉が、スケッチブックに美智子さんの顔を何枚も描いていたのを思い出す。

 小学校の三宅校長先生の家で、TVを購入、雪が降る画面を必死に見ていたような記憶がある。確か、小学校にピアノが導入されたのもこの年だった。札幌から兄貴の知り合いの女性が来ていて、ピアノを弾いてくれた。何を弾いてくれたのか全く覚えがないが、歌の伴奏ではなく、生のピアノ曲を初めて聞いた。

 夏休みでもない秋口に、突然札幌の大学に通っている長兄が家に帰ってきたのも、この年だったのではないだろうか。全学連の60年安保闘争にからみ、何かからの逃避だったように思う。

 ヤマメ、アカハラ、イトウ、鮒、谷地ウグイ、ザリガニ、こじゃく、蕗、山ウド、姫竹、わらび、落葉きのこ・・・山や川で遊んだ思い出の他、そんな思い出が残る下頓別である。

 <下頓別小学校>

ohohtuku0507_163 昨日は中学校を、今日は小学校を訪れた。豊寒別から、宇曽丹を通って下頓別に向った。途中、広大な牧草地にシートで包まれた牧草ロールが沢山見えた。写真にとってみたが、解像度を下げ過ぎて拡大に耐えられない映像だ。

 遠くに写っている白い斑点に見えるのは、建物ではなく、冬囲いのために白いシートを巻かれた牧草ロールである。

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July 25, 2005

Охотск紀行(豊寒別Ⅱ)

<7月5日(火曜日)午前>

 <豊寒別小学校>

 小川さんの車の後にくっついて、豊寒別小学校にやってきた。ン~?学校前の道から学校までの坂道はこんなになだらかだったかな~・・・子供の頃にソリ遊びした時の記憶では、もっと急だったと思ったが。

ohohtuku0507_151 挨拶もそこそこに、職員室に案内され鈴木教頭先生を紹介いただいた。校長先生は出張中で留守だったが、そのまま校長室に案内された。校長室には歴代校長先生の写真があった。上から2番目、一番左に、親父が写っていた。

 道産子哲はこの小学校に入学し、3年生の春までいたのだ。当時、豊寒別には電気が通じてなく、夜は灯油ランプの灯で過ごしていた|||(-_-;)||||||

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July 24, 2005

Охотск紀行(豊寒別Ⅰ)

<7月5日(火曜日)午前>

 北見神威岬を見学した後、浜頓別のホテルに戻った。時間に余裕があったので、クッチャロ湖を一周するようにしてホテルに戻って朝食を摂った。これから、53年前の昭和27年から昭和30年までの3年間を過ごした、豊寒別を訪れるのだ(^O^)v

 <ぶんちゃんの里>

Ohohtuku_20050705_99_28 朝食を終え、ホテルの駐車場で出発の準備をしていたら、携帯に電話が入った。ぶんちゃんの里のオーナー小川文夫さんからだ。自宅を出発する前に、携帯電話に登録してあったので小川さんからの電話だと直ぐに分かった。 ぶんちゃんの里までの道を教えていただき、ホテルを出発した。

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July 23, 2005

今週のお花(2005年7月23日)

img_0005img_0010 先週はお盆で、お花はお休みだった。

 今週の花はヒマワリだ。左が佳抱さん、右は恵抱さんが活けたお花だ。二人とも葉抱先生のお弟子さんだ。

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Охотск紀行(北見神威岬)

<7月5日(火曜日)朝>

Ohohtuku_20050705_99_8 5時前に目が覚めてしまった。今日は午前9時頃に、豊寒別のぶんちゃんの里を訪問することを約束している。時間はたっぷりある。朝食の前に、少し出かけることにした。サロベツ原野以来、朝食前に~というパターンが続いているσ(^◇^;)

 <クッチャロ湖畔>

Ohohtuku_20050705_99_5Ohohtuku_20050705_99_4 クッチャロ湖畔にこんな竪穴式住居が復元されていた。昔、豊寒別の小林さんという家の牧場に、竪穴式の住居跡が沢山あって、石器や土器の破片も沢山見つかっていた、と道産子哲にアップしたことがある。Охотскには縄文時代にもしっかりと人類が住んでいたのだ。

Ohohtuku_20050705_99_1Ohohtuku_20050705_99 また、擦文(さつもん)文化・擦文時代というのもあったそうだ。紀元8世紀というから、奈良・平安時代の頃である。Охотскではまだ、竪穴式住居で人々の生活が営まれていたらしい ...((((((^_^;)

 歴史は苦手や・・・JoBlogのJoさんに登場してもらわなければ無理だ!

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July 22, 2005

Охотск紀行(浜頓別へ)

<7月4日(月曜日)夕方>

 夕方5時、懐かしい浜猿払を後にして、これまた懐かしい浜頓別に向かった。そういえば、浜猿払へ着いた時間が3時前だというのに、気温が一気に14℃まで下がっていた。これが夏のОхотскだ。

 <浜頓別到着>

 宗谷に入り3日目というのに、遠い道のりを移動するんだという感覚が抜けない。何しろ、哲が住んでいる頃の移動手段は2時間に1本あるか無いかの汽車、そして駅までの移動は歩くか自転車。浜猿払から浜頓別への移動は遠かった。つい急いでしまう。

 宇曽丹の孵化場に採卵後の鮭を譲ってもらうため、零半のスーパーカブで、浜猿払-浜頓別町宇曽丹内を往復したことがある。遠かったことを思い出す。その鮭でおふくろが飯寿司(いずし)を漬けていた。

ohohtuku0507_114 結局6時前には浜頓別の宿泊地、クッチャロ湖畔の”浜頓別温泉ウィング”に到着した。浜頓別には昔、駅前通りに”東雲旅館”というのがあったが、跡継ぎがいないという理由でなくなっていた。この話は、豊富温泉川島旅館の大女将さんが、残念そうに話していた。

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July 21, 2005

Охотск紀行(浜猿払Ⅱ)

<7月4日(月曜日)午後その3>

 <浜猿払の集落>

ohohtuku0507_110 浜猿払には中学三年生の時のたった1年間しか住んでいなかった。しかし、同級生と昔話をしていたら、中学生の頃の映像がはっきりと甦ってきた。

 哲のアルバムには、なぜか浜猿払時代の写真がない。しかし、少年野球でお世話になった郷先生の顔、授業で黒板に書かれる字、野球仲間の顔・・・バレーに熱中していた女生徒の顔。信じられない程くっきりと、思い出すことができる。だが、女性は全く変わっているんだろうなぁ~

 今回の同級生との再開で、その映像が脳裏に再度焼き付けられた。機会があれば、クラス会とやらに参加してみたいものだ。

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満88歳の読者

 ”道産子哲”の読者の中に、満88歳になる方がいる。Охотск紀行シリーズの更新を楽しみにしているそうだ。

 ただ、パソコンの操作は無理といって、自分のPCを持ちあわせていない。息子さんに記事を紙に印刷してもらい、それを読んでいるのだ。

 Охотскの旅に出る前にフェリーに乗ってる水平さんのデザインが気に入って、暫くそれを使っていた。

 旅行から帰ってきて、集中的にオホーツクの記事を書いていること、季節も夏ということで、新着テンプレートの中にあったペーパー・カットに変えて、海の景色が特に気に入っていた。

 ところが、印刷担当の?息子さん経由で88歳の読者から”道産子哲”を読めなくなったとクレームがきた。全文印刷ができないというのだ(道産子哲を始めて以来、初めての出来事だ)。

 ということで、道産子哲のデザインが行ったり来たり、今日のお昼に、また水兵さんのデザインに戻した。早く、ペーパー・カットのデザインに戻れるといい、と思っている。


 88歳の読者とは、札幌で暮らす道産子哲のおふくろだ! (^-^)v

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July 20, 2005

Охотск紀行(応援団現る)

<嬉しい応援団>

 取材慣れしていない哲の記事を読んで、援軍が現れた。風力発電の風車や牧草ロールの写真が哲ん家にメールで届いた。豊寒別の”まっきーNo2”さんからだ。是非ご紹介したい写真なので、早速アップすることにした。

 <風車の建設>

DSC00620 まずは風力発電の施設が大型のトレーラーで運ばれてくる。ヘ~!ワンちゃんの顔みたい、可愛いぃー!日本では、車は左、人は右。そう、だからこの写真は運搬しているところを後ろから撮影したものだ(^-^)v

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July 19, 2005

Охотск紀行(浜猿払Ⅰ)

<7月4日(月曜日)午後その2>

 <鬼志別、猿払村役場>

Ohohtuku_20050704_99_4 浜猿払へ向かう途中、鬼志別にある猿払村役場に寄ってみた。実は、浜猿払中学校で同級だった、小野氏が猿払村役場に勤務していることを知っていたので、突然だが寄ってみることにしたのだ。

 村役場に入って行き、一番先に目に入ったのが出納室の看板で、2人ほど机に座っていた。そのうちの一人に訊ねた。「浜猿払中学校出身で、浜頓別高校を卒業されてから役場に入られた、小野さんという方はおりませんでしょうか」「あっ、います。うちの室長です。ちょっと、2階に・・・すぐに戻ります」

 階段を年配の男の人が降りてきた。直ぐに分かった。昭和37年、1962年3月以来の再開である。

 突然の訪問にもかかわらず、快く時間を頂戴し昔話、現在の様子を伺った。同級生では西口氏、川谷氏が昔のまま猿払、浜猿払に住んでいるという話だった。

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July 18, 2005

Охотск紀行(酪農経営)

<宗谷の酪農経営>

 Охотскでは畑が姿を消し、半世紀前の農村の風景を見ることはできないと報告した。旅行中、昔話に夢中になり、変貌を遂げた宗谷の酪農経営の実態についてお聞きするのを忘れてしまった。

 旅行から帰って、今回お会いした「小川牧場・ぶんちゃんの里」のオーナー”小川文夫さん”にSOSを発信し、「いまの酪農経営」ということでReportを頂戴した。Охотскの酪農経営の様子を知っていただこうと思い、道産子哲にもそのまま掲載することにした。

 旅行中、北海道の酪農経営が更に発展しようと躍動を続けている、というTV報道番組を見た。ぶんちゃんの里もその真っ只中にあるようだ。

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July 17, 2005

Охотск紀行(稚内~曲淵)

<7月4日(月曜日)午後>

 <稚内駅>

Ohohtuku_20050704_94
 稚内カントリークラブでPlayした後、稚内の街へ引き返した。松戸の自宅を出発してもう4日目だ。朝、ホテルのフロントでコインランドリーが、稚内駅の傍にあると聞いていたのだ。そう、コインランドリーに行きたかったのだ ...((((((^_^;)

 11時10分にはPlayを終えることが出来たので、急ぎ市内に引き返し、ランドリーしながら昼食を摂った。

 「風致」という珈琲とお酒を飲ませる、一風変わったお店だった。普通の食事がしたくなり、生姜焼き定食を注文した。野菜がたっぷりのジャンボな定食が出てきた、美味しかった。お酒を飲ませるお店なのに、哲は「ノンアルコールビールありますか?」と聞いてみた。「置いていません」と返事が返ってきた ┐('~`;)┌ お冷で我慢した。

Ohohtuku_20050704_95 そのお店を紹介している、地元の広報誌があったのに、いただいてくるのを忘れてしまった。もちろん、写真を撮ってくるのも忘れてしまった(>_<)

 稚内駅の近所の商店街には屋台が大勢繰り出して、稚内祭り宵の宮の準備で忙しそうだった。

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July 16, 2005

Охотск紀行(稚内カントリークラブ)

<7月4日(月曜日)朝>

 <稚内港>

 今日も5時には目が覚める。朝食は昨日と同じ、6時半にお願いしてある。朝食まで時間があるので、一人でホテルの近所を散歩してみた。

Ohohtuku_20050704_81 直ぐ近くに稚内港があった。漁港独特の香りが漂っていた。港には40~50tクラス?の漁船が沢山停泊していた。稚内祭りのせいで、港に戻っている船が多かったのだろうか・・・稚内祭りの案内には、4日が宵の宮で、5日が本祭りとあった。

Ohohtuku_20050704_84 港へ行く途中の道端に、イタドリが密生していた。そういえば、美深を過ぎて北へ北へと向かう道端には、イタドリが密生していた。昔は、こんなにイタドリが密生していた記憶がない。畑作が減少し、周りの雑草を刈ることがなくなった?からだろうか・・・理由は分からない。

 哲の記憶違いなのかも知れない ...((((((^_^;)

Ohohtuku_20050704_82

 哲が子供の頃、やはりイタドリと言っていた別の野草も道端に生えていた。イタドリと同じように、若芽の皮を剥いて、葉の根元の部分を食べたことがある。酸っぱい味を思い出し、おもわず身震いしてしまった。

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July 15, 2005

Охотск紀行(稚内へ)

<7月3日(日曜日)夕方>

 福永訪問を終えて、今日の宿泊地、日本最北端の市、稚内へ向う。

 <兜沼>

ohohtuku0507_050 おふくろから福永昔話で”兜沼”という土地の名前はよく聞いていた。また、今回訪れた組沢さんのお話にも、親父つながりの兜沼が登場した。稚内への途中なので、寄ってみることにした。駅は無人駅だった。

 親父は学生時代に鍛えた足が自慢、豊富周辺では足の速さで有名だったらしい?組沢さんはそのことも知っていた。

ohohtuku0507_051 これもオホーツクの旅を終えて、札幌でおふくろに確認したことだが。何と、おふくろん家(ち)は札幌から兜沼にやって来て、山から木を伐りだして木工場で製材、木材を売るという商売をやっていたそうだ。

 そんなもんで、おふくろは兜沼から稚内の女学校まで通学していたという。ところが、乗り物に弱いおふくろは、毎日が乗り物酔で、汽車を降りてもそのまま学校まで歩いてゆけず、乗り物酔を覚ましてから学校まで歩いたので毎日遅刻していたという。初めて聞いた話だが、笑ってしまった。

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July 14, 2005

Охотск紀行(福永再訪)

<7月3日(日曜日)午後>

 <若林牧場訪問>

 前日下見をした福永を再訪した。何しろ、哲が生まれて5ケ月の時から6歳直前の4月まで、5年半も住んでいた土地である。

 国道40号線豊富から、福永方面に右折して直ぐ”天野牧場”があった。両親の福永昔話に”天野さん”という家の話を聞いた覚えが薄っすらとあるが、全く自信がなかったので、訪れなかった。

 オホーツクの旅を終え、札幌でおふくろと話をしたところ、おふくろの蕎麦打ちの原点が天野さんにあったと言われた。勇気を出して?お寄りすべきだったが、後の祭りだった。

 次にあったのが”荻原牧場”で、その次が”三浦牧場”だ。そうなのだ、酪農家へ入るわき道に必ず「××牧場」という看板が掲げられているのだ。デジカメに撮ってくるのを忘れてしまった。

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Охотск紀行(原生花園)

<7月3日(日曜日)>

 <サロベツ原生花園>

ohohtuku0507_034 朝、目が覚めた。時計を見るとまだ4時半だが、外はもう明るい。朝食は6時半にお願いしてある。よ~し、起きよう!ということで朝食前に原生花園に出かけた。

 川島旅館から車で15分も走ると、原生花園に到着だ。ビジターセンターがあって、駐車場・トイレが完備していた。木道を一周したら、腸が活発化?お世話になってしまった(^_^;)

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July 13, 2005

Охотск紀行(花を食べる)

<7月2日(土曜日)夜>

Ohohtuku_20050702_32 砂川SAでのお昼が3時過ぎだったので、夕食は8時にお願いした。ちなみにお昼は、哲がラーメン、家内は月見蕎麦だった。

 まずは、400km弱のドライブ、”無事サロベツ到着”に乾杯だ!ビールが喉にしみて美味い(^-^)v。ビールをお願いします、と言ったら”サッポロ黒ラベル”が出てきた(^_^;)

 蕗のキンピラさん、香りが強くシャキシャキ感があって旨い。姫竹の煮物、柔らかく懐かしい。北海道ならではの料理に、冷酒を1本追加してしまった。

Ohohtuku_20050702_35 自分の家でも、菊の花を酢の物でいただくことはよくある。昨年はオクラの花に鰹節・ドレッシングを掛け、サラダ風にしていただいた。

 しかし「エゾカンゾウの花」の天ぷらには初めてお目にかかった(^_^;)。哲が子供の頃も、エゾカンゾウの花を食べるという話は聞いたこともなかった。塩をつけて食したが、肉厚の花でシャキシャキとして美味しかった。

ohohtuku0507_035
 翌朝撮ったのだが、サロベツ湿原に咲くエゾカンゾウはこんな花だ。

 国立公園内での植物採取は禁じられている。我々が食べたエゾカンゾウはそこで採取されたものではないことをお断りしておく。宗谷地方では国立公園内でなくとも、エゾカンゾウが群生しているのだ。

 夕食を終えて温泉に浸かり一日の汗を流した。他にもお客はいたのだが、その時間、男湯で入浴しているのは哲ひとりだった。少しばかり灯油の匂いがする温泉だった

 こうして、Охотск紀行北海道の初日が終わった。

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今週のお花(7月10日の追加です)

ikebana_20050712_02 12日になって、玄関にはもう一つ別の花が活けられていた。恵抱さんは研究会の帰りが遅く、復元が月曜日の夜にずれ込んだそうだ。

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July 12, 2005

Охотск紀行(サロベツへ)

<7月2日(土曜日)午後>

 いよいよサロベツ原野を目指してのドライブだ。カーナビに今日の目的地、豊富温泉「川島旅館」を設定する。苫小牧からはおよそ、350km程の距離だ。現在時刻が2時少し前、到着予定時刻が夜の10時と表示される。

 ルート設定で家内とのコミュニケーション不足を露呈してしまった。家内は留萌から日本海沿いに北上するルートを提案し、Internet情報をプリントしファイリングしてあった。哲も了解していたと言う。家内はパソコン歴1年足らずだが、立派なネットサーファーだ。その情報収集力は凄いものだ(^_^;)

 哲の頭の中は、学生時代に利用した宗谷本線に沿ったルートで凝り固まっていた。おまけに、高速道路を利用したほうが早く目的地に到着できると思い込んでいた。車の中でのやりとりの末、一応、日本海沿いに北上するルートを設定して運転だ。

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July 11, 2005

Охотск紀行(苫小牧上陸)

<7月2日(土曜日)朝>

ohohtuku0507_002 前日の9時にはベットで横になっていたのもあって、5時前から目が覚めていた。寝ている間、結構船が揺れていて、時折ド~ン・ド~ンという音がしていた。金華山沖を通過する時が最も揺れるという、とするとそれは夜中の2時頃か。

 フェリーは陸地など全く見えない海上を、北に向けて航海をつづけていた。

 大浴場が6時から開いているというので、6時に起床、朝風呂に出かけた。10名ほどが哲と同じ朝風呂をやっていた(^-^)v

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July 10, 2005

今週のお花(2005年7月10日)

Ohohtuku_20050709_99_12
 先週の土日は不在だったため、1週間ぶりに掲載する今週の花です。先週はどんなお花が玄関に活けられていたのだろう・・・

Ohohtuku_20050701_04Ohohtuku_20050710_99_1Ohohtuku_20050710_99_3
        


 Охотскの旅に出る時、庭ではギボシの花が咲いていた。旅から帰ったら、クチナシとムクゲが咲いていた。

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Охотск紀行(出発)

 7月1日(金曜日)15時、大洗に向けて自宅を出発した。

 いよいよ、サロベツ原野、猿払村、豊寒別、下頓別と道産子哲が幼少時代を過ごしたОхотск思い出の旅がスタートした。

Ohohtuku_20050701_05Ohohtuku_20050702_13
 大洗港には16時30分に到着、乗船手続き、17時には乗船開始となった。18時30分、ボッボ~・・・と霧笛の音と共に、サンフラワー号は出港した。


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July 09, 2005

ただいま~

 今日、Охотскの旅を無事終えて、松戸の自宅に帰ってきた。

 車を車庫に入れた時、自宅を出発する時に0にセットしたTRIPメータが1,643.3kmを示していた。哲のОхотскの旅が終わった瞬間だ。

 とにかく”思い出てんこ盛り”で帰ってきた。半世紀ぶりに訪れた故郷、興奮もまだ覚めやらずどうやって記事にしてみようかと、頭の中はグルグルと空回り?している。

 ぶんちゃんの里には早くも、哲が訪問!と写真がUpされていた。ぶんちゃんには、豊寒別で大変お世話になりました。おかげさまで、懐かしい昔を沢山思い出させてくれました。感謝で一杯です。

 今夜はゆっくり休み、これから少しずつ、Охотск紀行文として記事にしてゆきたいと思います。

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July 01, 2005

暫くお休みします

 今日、7月1日夕方、いよいよОхотск紀行の旅に・・・大洗を出港です。Realtimeで記事をアップせよ、という声も聞こえましたが、ジックリ取材して帰還次第、紀行文を寄せたいと思います。

 ということで”道産子哲”、Blogの更新を暫しお休み、10日を目標に再開するつもりです。

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