July 15, 2009

秋味 (^-^)v

Hamasaru0007 兄からいただたもう一枚の写真 happy01

 服装から想像するに、オホーツクの10~11月頃と思われる。昭和36年、1961年の秋、今から48年前の写真 coldsweats01

 哲が住んでいた浜猿払中学校の直ぐ傍、村上さんという網元さん家(ち)の倉庫、網元さんの物置のことを何と呼んでいたのだろう?、その前で撮ったに違いない scissors

 村上さん家は毎年、帆立貝漁が終わった後の夏から秋にかけ、建て網漁(定置網の一種)で秋鮭漁をやっていた網元さんだ。哲も何度か、網起しの船に乗せていただいた。捕れた大きな秋鮭が、船の中で暴れていた光景は、今でも瞼に焼き付いている。

 この写真、網起しから戻って直ぐ、記念撮影したものに違いない。それにしても大きな秋鮭だ。養殖銀鮭が流通している昨今、本物の脂ののった秋鮭の美味しさを教えてあげたいと思うこの頃だ。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

February 07, 2009

豊寒別つながり(その2)

01 前回の記事、残念ながら推測は見事に外れだった punch

 道産子哲を訪れていただいた金指さまのお姉さま、哲の兄貴と一緒にこの写真(再掲)に写っているそうだ。これは、兄貴が持っている"豊寒別小学校 卒業記念"の写真。昭和29年3月、今から55年も昔の写真である。

 そしてその方、哲の姉と豊寒別小学校で同級生だったという。再掲になるが、もう一枚のセピア色の写真もアップしておこう。ひょっとして、姉と一緒に写っているかもしれない。

Toyoshouseito02 最近の豊寒別、小川牧場のオーナーさんのBlogで知ることができる happy01

 立春を迎える頃、オホーツクは最も寒い季節。最近の『一昨日の朝は最近にない厳しい寒さだった。我が家の前庭で、マイナス14度であった。午前5時40分に牛舎へ出勤。思わず「さむ~~い」という声がでてしまった』と言う記事に、冬の豊寒別を思い出す think

 流氷が接岸するとマイナス20度は確実、屋根に付いた氷が割れるド~ンという大きな音が忘れられない bearing

| | Comments (5) | TrackBack (0)

February 04, 2009

豊寒別つながり(その1)

Kodomosumou 先日「昭和38年まで豊寒別にいました・・・」と、道産子哲をご訪問いただいた方が足跡を残してくれた happy01 これで、豊寒別つながりでコメントを頂いた方が4人になった。あらためて、半世紀の時間のギャップを瞬時に埋めるNet時代の凄さを感じる。

 最初に訪問いただいたのが、このBlogにもLinkしている"ぶんちゃんの里”のオーナーさん。そこには、2004年に故郷オホーツクをcar旅した時に訪れた。

 二番目の方には"千葉の芋"というハンドルネームでコメントをいただいた。道産子哲が豊寒別にいた当時、お父様が国鉄にお勤め、興浜北線の豊牛駅、そこの官舎にお住まいだった方。

 三番目の方は、今も豊寒別小学校の目の前にある簑島牧場の、今は札幌に住む息子さんからだった。

 そして"正勝"さん、姉と同級だったという4人目の方が登場・・・何しろ、半世紀も昔のこと、"正勝"と言われても全く思い出すことができないまま、足跡へのお礼を書いた。

 昨日から北海道方面より、哲にメールが入り始め、”正勝”さんは誰?という追求が始まった。正勝さんと同級生だったという姉とも連絡を取り合った結果がメールされ、ひとつの結論に達した。

 この記事で再掲したセピア色の写真にいるかも知れない。結局は、一緒に、学校の裏山の牧場で牛に追われた仲間であるとの確信に至ったのだが・・・記事を書いた時はばんだいらの"おさむ"とばかり思っていたのは、ばんだいらの"かっち”だったかもしれないと・・・

 オホーツク方面には、豊富村の福永、浜頓別町の豊寒別と下頓別、そして猿払村の浜猿払と中学校を卒業するまで過ごした。だが何故か、道産子哲を訪問いただき足跡を残していただいた方、当時は電気も通じていなかった豊寒別の方ばかり coldsweats01

 ぶんちゃんの報告によれば、豊寒別小学校、来年の春を以って閉校とか・・・避けられないことですが、寂しいものですね weep

| | Comments (4) | TrackBack (0)

September 04, 2006

ダリヤ

060903daria_20060903_01 哲ん家の近所にあったゴルフ練習場が閉鎖になり、最近は自宅から車で30分以上もかかるところまで練習に出かけている。練習場の閉鎖、どういう理由なのか定かではないが、跡地にはスパーが開店するという噂が流れている。

 最近行くようになったゴルフ練習場、そこに珍しい花が咲いていた。白とピンクの中輪咲きの『ダリア』が咲いていた。今はどうなのか分からないが、哲が住んでいた頃の北海道、そこではダリヤの花は大変ポピュラーな花だった。関東では、ダリヤの花を見かけることは少ない。思わず、写真に収めてしまった。

 オホーツクに住んでいる頃、そう下頓別時代である。家の周りに花畑を作り、毎年色々な花を植えていた。

060903daria_20060903_06 アスター(蝦夷菊)、カスミソウ、矢車草、キンセンカ、松葉ボタン、忘れな草、桔梗、チュウーリップ、・・・中でも「ダリヤ」の思いは格別だ。

 オホーツクでの花畑、1年草は毎年春に種を植えるのだが、球根の多年草は秋に冬囲いが必要なのだ。ただ、水仙やチューリップは冬囲いは必要なく、秋に株分けして5~6cmも土をかぶせておけば、翌年に芽を出してくれる。

 ところがダリヤの球根はそうはいかないのだ。秋に球根を掘り、少しだけ乾燥させて土中深く囲ったり、おがくずにうずめ物置で保存したりしたのだが・・・春になると、球根が腐っていることが多かった。とにかく寒さに弱い球根で、冬の間に凍ってしまい春になると腐っていたという思い出が多い(>_<) 関連記事はこちら。

 夏の間に冬支度で出来たおがくずを残しておき、それを使って冬囲いをするのだが、成功の確率は大変低かった。ダリヤの球根は、結構高価だったので、なんとか冬囲いで確保したかったのだが難しかった。

Kyandeli08 この写真、浜頓別町の学校別対抗運動会が終わって、家に帰ってきてからの写真だ。胸に”下小”と書かれたゼッケンをつけている。

 下頓別小学校6年生、自分は走り幅跳び競技に出場した。自宅の前で、アイスキャンデーをほおばっている写真、多分良い成績に入賞した顔だ(^O^)v

 セピア色の写真なので分かりにくいだろうが、ダリアの花の横にたたずんで撮った写真だ(^O^)v下頓別に住んでいる頃、哲ん家では毎年、ダリヤを植えていたのだ。

Continue reading "ダリヤ"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 11, 2006

下頓別中学校職員室

 今年のオホーツク、流氷は来ないのかと思ったら、4月になってから接岸したそうだ。ぶんちゃんの里に、今年の流氷接岸の写真が掲載されていた。

 今年からぶんちゃんの里ではミニ工場が稼動、絞りたてのぶんちゃん牛乳が飲め、ソフトクリームが食べることができるそうだ\o(^o^)o/今年も、オホーツクに行ってみたいものだ。

Maki14 これまた、40数年前の風景である。工藤先生と、岩下先生、下頓別中学校の教頭先生と社会科の先生だ。

 夏の我が家の前、薪がこんな風に積まれていた。冬の間の暖房と料理用の燃料となる薪、それを乾燥させている風景だ。

 夏休みが終わる前、発動機を使った丸鋸で、その薪を30cm位の長さに切ってもらうのだ。どういう人にお願いしていたのだろう・・・おじさんが馬車に発動機と、丸鋸を積んできて「ドッ・ドッ・ドッ・・・ビィ~ン・・・ドッ・ドッ・ドッ・・・ビィ~ン・・・」という音を立てながら、切っていた。

 燃料に使われる木は色々だった。白樺の木が結構多かったような気がするがあてにはならない('~`;)。。。木を切った時の匂い、今でも懐かしく思い出す。切った時に出るおがくずは、乾燥させて球根の冬囲いに使ったことも思い出す。

 チューリップや水仙の球根は特に冬囲いは必要なかった。秋に株分けして植え替えておけば、土中で冬を越すことができた。

 ダリヤの球根は土中で冬を越すことはできなかった。掘り返して、おがくずを使って冬囲いをするのだが、難しかった。凍らしてしまったり、乾燥が不十分で腐ってしまったりすることが多かった。最後まで、こつを掴むことができなかった(≧Д≦)

 夏休みの仕事に薪割りがあった。結構重労働・・・写真から半端な薪の量でないのがお分かりだろうσ(^◇^;)。。。昭和30年代半ば、その時から大きなリュックを背負いオホーツクを旅行する学生さんがいた。

 校庭にテントを張らせて下さい、体育館で寝かせて下さいという学生がいたものだ。旅行者は飲料水の確保が大切、学校は宿泊場所のターゲットになっていた。たまにだが、親父が旅行者を自宅に泊めることがあった。

 お風呂に入れてあげ、食事まで御馳走することもあった。夏休みの後半は、そう(^-^)v我々は朝食が終わると薪割りが始まるのだ。止せばいいのにいてもたってもいられず、薪割りの手伝いをする旅行者がいた。小学校の高学年や中学生のやること、大学生が出来ると思うのも無理はない。しかし、経験がないと薪割りは簡単ではないのだo(^o^)o

 悪戦苦闘し、手がマメだらけ・・・足にマメができているだろうに、手にまでマメを作られて・・・それでも、嬉しそうに次の目的地に向う学生さんがいたものだ。

Continue reading "下頓別中学校職員室"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 05, 2006

富士山・・・

Shizuoka04 親父とその母である。

 そう、父方の祖母の写真である。静岡には親父の姉と妹がいた。豊寒別時代、親父が本州出張のついでに、寄ってきた時の写真と聞いているから50年ほど昔のものだ。

 伯母さんの家は両替町で商売をやっていた。当時でトラックをもっていたみたいだ\(◎o◎)/
 学生時代、九州旅行の帰りに寄ったのだが、肥料工場を見せてもらった記憶がある。

Shizuoka05 富士山が美しく撮れている。春か秋に写した写真をもらってきたのに違いない。

 親父が出張していたのは、確か夏休みのことだ。富士山が、夏に雪をいだいている筈はないものね ┐('~`;)┌

| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 03, 2006

笑顔が素敵!

toyokanseito-03 40年以上も昔の小学生たち。屈託のない笑顔ばかりだ\o(^o^)o/

 見ているだけで楽しい気持になって来る。

 ウ~ン、高層マンションから突き落とされるという、またしても小学生が犠牲になる事件が起こってしまった(>_<)。

 昔はイジメが無かったとは断言できないが、弱いものを苛めるなんて「お前は卑怯な奴だ」という言い方があった。「卑怯者!」最近あまり聞かなくなった言葉だ。

Continue reading "笑顔が素敵!"

| | Comments (8) | TrackBack (0)

March 27, 2006

Охотскの花見

hanami-11 オホーツクでも花見があった。小学校と中学校の先生方、合同でのお花見だった。親父の他に、小学校の本間先生、赤堀先生が仲間の到着を今か今かと待っている風情だ(^O^)v

 桜が咲く時期は5月の末だった。桜の種類、そめい吉野ではなく、多分蝦夷山桜だったのではないだろうか。札幌の桜も、開花と同時に葉が芽吹いているので、多分蝦夷山桜のはずだ。

Continue reading "Охотскの花見"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

March 23, 2006

俳優を志す?・・・

gakugeikai-01 小学3年生の時だ。よくこんな写真が残っているもんだ ┐('~`;)┌。。。

 学芸会というのがあった。収穫が終わった秋、そう敬老会というイベントがあって、丁度その頃に学校行事”学芸会”があった。

 これは小学三年生の時だった。担任の先生は加藤先生だった。校長先生は宮野校長先生だった。

 息子さんが省三君、同級生だった。前列右から二人目だ。彼のお母様はとても元気な方で、吹雪がやんだ後、リュックを肩にスキーで買い物に出かけるお母様だった。

 三年生の出し物は「雪女」だったと記憶している。哲は登場人物の一人ではなかった。舞台の袖だったろうか・・・ナレーション担当で原稿を見ながらだったので、セリフを覚えなくてもよかったということを覚えている(>_<)

Continue reading "俳優を志す?・・・"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 16, 2006

読書の秋?

dokusho-09 下頓別、哲ん家の庭のベンチ。同級生が鞄を投げ出し、本を貪り読んでいる。後から、一番下の哲の弟が何やら覗き込んでいる(^-^)v

 中学校の同級生、鴬君、海老名君、大西君、三浦君、読んでいるのは漫画雑誌に決まっている ┐('~`;)┌。。。

 当時(哲の小学生~中学生時代)の漫画雑誌、月刊誌だった。少年画報、冒険王、少年ブック、ぼくらという雑誌だったと記憶している。週刊漫画、少年サンデーや少年マガジンはず~っと後のことだ。

 我が家ではいつ頃までだろう、漫画本は固く禁止されていた。親父に見つかると、ストーブで燃やされてしまうので、大変だった。小学館発行の”小学XX生”という本は買ってくれたのだが、漫画は友達から借りてくるのも駄目だった(>_<)

 赤胴鈴之助、鉄人28号、鉄腕アトム、まぼろし探偵・・・月刊誌本体より、何冊もついてくる付録の方が主役だった覚えがある。

Continue reading "読書の秋?"

| | Comments (2) | TrackBack (0)