今年のオホーツク、流氷は来ないのかと思ったら、4月になってから接岸したそうだ。ぶんちゃんの里に、今年の流氷接岸の写真が掲載されていた。
今年からぶんちゃんの里ではミニ工場が稼動、絞りたてのぶんちゃん牛乳が飲め、ソフトクリームが食べることができるそうだ\o(^o^)o/今年も、オホーツクに行ってみたいものだ。
これまた、40数年前の風景である。工藤先生と、岩下先生、下頓別中学校の教頭先生と社会科の先生だ。
夏の我が家の前、薪がこんな風に積まれていた。冬の間の暖房と料理用の燃料となる薪、それを乾燥させている風景だ。
夏休みが終わる前、発動機を使った丸鋸で、その薪を30cm位の長さに切ってもらうのだ。どういう人にお願いしていたのだろう・・・おじさんが馬車に発動機と、丸鋸を積んできて「ドッ・ドッ・ドッ・・・ビィ~ン・・・ドッ・ドッ・ドッ・・・ビィ~ン・・・」という音を立てながら、切っていた。
燃料に使われる木は色々だった。白樺の木が結構多かったような気がするがあてにはならない('~`;)。。。木を切った時の匂い、今でも懐かしく思い出す。切った時に出るおがくずは、乾燥させて球根の冬囲いに使ったことも思い出す。
チューリップや水仙の球根は特に冬囲いは必要なかった。秋に株分けして植え替えておけば、土中で冬を越すことができた。
ダリヤの球根は土中で冬を越すことはできなかった。掘り返して、おがくずを使って冬囲いをするのだが、難しかった。凍らしてしまったり、乾燥が不十分で腐ってしまったりすることが多かった。最後まで、こつを掴むことができなかった(≧Д≦)
夏休みの仕事に薪割りがあった。結構重労働・・・写真から半端な薪の量でないのがお分かりだろうσ(^◇^;)。。。昭和30年代半ば、その時から大きなリュックを背負いオホーツクを旅行する学生さんがいた。
校庭にテントを張らせて下さい、体育館で寝かせて下さいという学生がいたものだ。旅行者は飲料水の確保が大切、学校は宿泊場所のターゲットになっていた。たまにだが、親父が旅行者を自宅に泊めることがあった。
お風呂に入れてあげ、食事まで御馳走することもあった。夏休みの後半は、そう(^-^)v我々は朝食が終わると薪割りが始まるのだ。止せばいいのにいてもたってもいられず、薪割りの手伝いをする旅行者がいた。小学校の高学年や中学生のやること、大学生が出来ると思うのも無理はない。しかし、経験がないと薪割りは簡単ではないのだo(^o^)o
悪戦苦闘し、手がマメだらけ・・・足にマメができているだろうに、手にまでマメを作られて・・・それでも、嬉しそうに次の目的地に向う学生さんがいたものだ。
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