May 24, 2006
May 15, 2006
下宿先の庭でも・・・
北海道に住んでいる頃、ジンギスカンパーティーをすることが多かった。
高校時代の校外HR・炊事遠足でもジンギスカン、大学時代の海水浴キャンプでもジンギスカン鍋は定番だった。
高校2年の秋から大学1年の春までの1年半、哲がお世話になった札幌大通り西18丁目の下宿でも、庭に新聞紙を敷いて、大家さんと一緒にジンギスカンパーティーをやった\o(^o^)o/
昔はごく普通の住宅地だったのだが、今の大通り西18丁目、ビルやマンションばかりで庭のある家などすっかり消えている(≧Д≦)
哲が高校3年の頃には、中学生だった一番下の弟もオホーツクから札幌に出ていた。オホーツクでは、親父とおふくろが二人で留守番だった ┐('~`;)┌。。。 それでも毎年夏休み、冬休み、それに春休みにはオホーツクに帰省していた。
この写真、哲の一番上の兄貴がいないだけ。他の兄弟は全員集合している(^O^)/ 我が家ばかりではなく、昭和30年代後半から既に、北海道では人口の札幌集中が始まっていたということだ。
May 13, 2006
京都修学旅行
先日、札幌西高校時代の同期会があったので、高校時代の写真を探してみた。高校2年生の時の修学旅行の写真が沢山、それと旅行日程のガリ版刷りが見つかった。
まだ新幹線が開通していない時代、10泊11日間の修学旅行である。京都や奈良のお寺巡りと東京での「歌声喫茶」へ行き、舟木一夫に会ったことを覚えている。Охотск育ちの哲にとっては、初めての北海道脱出が、高校時代の修学旅行だった。
札幌から函館本線を函館へ。函館桟橋の朝の風景であろう、函館からは青函連絡船で青森へ向う。
青森からは東北本線で東京へ、東京から東海道線で関西へ。これが修学旅行の王道?だったようだ ┐('~`;)┌。。。
昭和38年9月3日(火曜日)、札幌を夜の7時にに出発し、函館駅には翌朝の4時45分に到着とある。
青函連絡船は函館を6時に出発、青森には10時40分に到着。午後1時12分、列車で青森駅を出発となっている。食事欄の自の印は、各自勝手にという意味だったのだろう。他に、弁、汽、旅、食なんて印もある(^O^)v
そして翌朝の7時45分に「日光」到着となっている。いきなり、車中2泊のスタートである(≧Д≦)
November 22, 2005
橋の下で・・・
高校生の頃、1年に1度?こんなシーンがあった。これは札幌市の街中を流れる豊平川上流にある、十五島公園での一時だ。そう、札幌の街から、定山渓温泉に行く途中だった。今はすっかり開けて、住宅地になっているかもしれない。
豊平川に架かる橋の下で・・・自分たちが、皆でお昼ご飯をを食べているシーンだ。
November 20, 2005
学校の休み時間・・・
高校生の頃、教室ではお昼休みじゃないのにお弁当を広げる生徒がいた。モデルはK真田さんだ。早い連中は、2時間目が終わった所でお弁当を食べていた。授業時間中に広げる豪傑もいた ┐('~`;)┌
それでお昼休みはどうしたって?学校の売店でパンと牛乳を売っていた。早弁した連中は、お昼にパンを食べていた。早弁?男子生徒にとって、全国共通の習慣だった筈だ。
札幌西高校は普通科の他に夜間定時制高校もあった。食堂があって、定時制高校生のために、夕方は食堂が開いていた。パンはその食堂で販売されていた。白鳥の姿をした商標だった記憶がある、日糧のパンだった(^O^)v 哲も菓子パンと牛乳のお昼だったことがあった。薄くチョコレートで包まれた、少し硬めの揚げパンを思い出す。





Recent Comments